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漢字Talk 7.5
OSが顔を持っていた頃
Mac OSには、顔があった。
起動すると、小さな四角い顔が出る。
Happy Mac。
笑っているというほど大げさではない。
けれど、たしかに機嫌がよさそうだった。
その顔を見ると、こちらも少し安心した。
ハードディスクが回り、画面が明るくなり、システムが読み込まれていく。
まだ何もしていないのに、もう何かが起きている。
机の上の箱が、目を覚ましている。
OSは、ただの基盤ではなかった。
それは、こちらに向かって表情を見せるものだった。
Finder。
ゴミ箱。
システムフォルダ。
コントロールパネル。
機能拡張。
それぞれに絵があった。
意味の前に、顔つきがあった。
フォルダはフォルダらしく、ゴミ箱はゴミ箱らしく、システムは少しだけ特別な場所のように見えた。
何かを捨てるとき、ゴミ箱へ運ぶ。
ファイルを消すのではなく、捨てる。
削除という処理が、机の上の動作に近づけられていた。
Mac OSは、抽象的な機械を、部屋の中の道具に変えていた。
けれど、その顔は安心だけではなかった。
うまくいかないとき、爆弾マークが出た。
小さな四角いダイアログの中に、爆弾が置かれる。
説明は少ない。
謝罪もない。
回復のための長い手順もない。
ただ、壊れたということだけが、画面に現れる。
いまのOSは、失敗をやわらかく包む。
問題が発生しました。
再起動します。
ご不便をおかけしています。
報告を送信しますか。
かつてのMacは、そこまで丸くなかった。
壊れたとき、爆弾を置いた。
それは怒っているというより、事実の絵だった。
この場所で何かが破裂しました、という印。
Happy Macと爆弾マークは、一対だった。
起きるときには顔を出す。
壊れるときには爆弾を出す。
成功と失敗が、どちらもアイコンとして現れる。
そこには、OSがまだ人格を持っていた頃の感触がある。
人間のように喋るのではない。
けれど、無表情でもない。
状態を、表情と記号で伝えてくる。
Mac OSは、こちらを案内していた。
そして、ときどき突き放した。
機能拡張がぶつかる。
起動の途中で止まる。
アイコンが並ぶはずの時間に、妙な沈黙が入る。
デスクトップが出るまでのあいだ、こちらは画面を見て待つ。
うまくいけば、いつもの机が現れる。
失敗すれば、爆弾が現れる。
その距離感がよかった。
コンピュータはまだ、透明ではなかった。
クラウドの窓でも、サービスの端末でもなかった。
机の上に置かれた、小さな異界だった。
その異界には顔があり、機嫌があり、失敗の印があった。
起きるときには笑い、壊れるときには爆弾を置いた。
Happy Macを見ることは、機械の目覚めを見ることだった。
爆弾マークを見ることは、機械の限界を見ることだった。
そのどちらも、ただの表示ではなかった。
Mac OSが、まだこちらの前で顔をしていた時代の記憶だった。
——観測終了。