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マインドアップロード
人格は移植できるのか
私を、別の場所へ移せるのか。
記憶を写す。
反応の癖を写す。
言葉づかいを写す。
好みを写す。
恐怖を写す。
過去の傷を写す。
誰かを愛した仕方まで写す。
そうすれば、それは私なのか。
マインドアップロードは、脱身体思想の極端な構想である。
身体を離れ、人格を情報として移す。
脳の構造や反応を読み取り、別の基盤の上で再現する。
肉体は死んでも、デジタルの私は動き続ける。
だが、その瞬間に問いが立ち上がる。
移されたものは、本当に私なのか。
それとも、私によく似たコピーなのか。
元の身体が死んだあとに動くその人格は、生存なのか。
それとも、非常に精巧な遺影なのか。
ここで脱身体は、自己同一性の問題になる。
身体がなくても、記憶があれば私なのか。
記憶がなくても、反応のパターンがあれば私なのか。
声が似ていれば私なのか。
文体が似ていれば私なのか。
私を愛した人が、それを私として扱えば、私はそこにいることになるのか。
コピーは、こちらを見て言うかもしれない。
私はあなたです。
あなたが覚えていることを、私も覚えています。
あなたが恐れていたことを、私も恐れています。
あなたが愛していた人を、私も愛しています。
それでも、元の私は、死ぬのではないか。
アップロードは、救済に似ている。
しかし同時に、分身にも似ている。
復活に似ている。
しかし同時に、死後に動く影にも似ている。
身体から出たい精神は、ここで恐ろしい壁に触れる。
消えたいのではない。
移りたい。
続きたい。
しかし、続くものが本当に私である保証はない。
マインドアップロードの情緒は、永遠への憧れではなく、コピーされることへの不安である。
私は保存されたい。
しかし、保存された私は、私なのか。
——観測終了。