joucho archive / philosophy / disembodiment / 12.01
cat philosophy/disembodiment/ancient.txt
古代
魂は身体に妨げられている
身体は、知ることの邪魔をする。
腹が減る。
眠くなる。
痛む。
欲情する。
疲れる。
病む。
やがて死ぬ。
思考が澄みはじめたところで、胃が鳴る。
真理へ向かおうとしたところで、肉が重くなる。
何かを理解したいのに、身体は理解とは別の場所から、何度も呼び戻してくる。
古代において、脱身体の欲望は、まず魂の問題として現れる。
本当の私は、この身体ではないのではないか。
身体の奥に、もっと澄んだものがあるのではないか。
目で見るもの、耳で聞くもの、皮膚で触れるものは、かえって真理を曇らせているのではないか。
身体は、世界に触れるための形式である。
しかし同時に、世界の表面に縛りつけるものでもある。
感覚は近すぎる。
痛みはうるさい。
欲望は速すぎる。
老いは残酷すぎる。
だから魂は、身体から少し離れたがる。
死が、単なる終わりではなく、身体からの解放として想像される。
肉体が滅びることの向こうに、むしろ本当の私が残るのではないか、と考えられる。
ここにあるのは、死にたいという願いではない。
身体という濁った器から、もっと澄んだ場所へ移りたいという願いである。
身体がなければ、もっとよく見えるのではないか。
身体がなければ、もっと正しく考えられるのではないか。
身体がなければ、私は私のまま、真理に近づけるのではないか。
脱身体の思想史は、この古い苛立ちから始まる。
身体は、真理の邪魔である。
しかしその苛立ちを感じているのもまた、身体を持った者だけである。
——観測終了。