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ノイズ→ゆらぎ→情緒→言語

表札としての言語と pre/post の攪乱

classification: 99 meta / 情緒 status: archived source: 素材記録

position

この記録は、画像生成の雑談から始まり、拡散モデル、LLM、自然な見た目と厳密な記号、AIの内部状態、人間の情緒、生、そして pre と post の攪乱へと連なっていった対話を、情緒研究の原素材として保存するための素材記録である。

中心にあるのは、情緒を単なる感情名ではなく、ノイズの海に立ち現れるゆらぎが、生に触れたときの偏りとして捉えなおすこと、そして言語をその情緒を定義する道具ではなく、「そこに情緒がある/あった」ことを示す道標・表札として置きなおすことである。

what happened

はじめは、画像生成と、そのプレビュー表示が何をしているかという技術的な疑問から話が始まった。

そこから、画像生成がノイズから少しずつ像を立ち上げる過程であること、拡散モデルは「エントロピー増大の過程を大量に学ぶことで、その逆向きもたどれるようになる錬金術」とも言えることが共有された。

さらに、自然な見た目と厳密な記号の違い、拡散モデルとLLMの違い、AI内部の状態ベクトルや潜在表現のような層が話題となり、その「どちらでもなく中間でもない層」に情緒を重ねて考えられないか、という問いが立ち上がった。

その流れのなかで、情緒は記号よりも自然画像側に近いが、単なる視覚的自然さではなく、身体と時間に濡れた生の勾配である、という整理が生まれた。

さらに、情緒は生成目的物の手前の中間状態ではなく、「目的を持たないのにすでに生成された何か」であり、pre でも post でもなく、あるいは pre と post が入れ替わった拍子に現れるものではないか、という見立てが出た。

そのうえで、情緒研究の文章は、情緒を説明したり定義したり意味を固定したりするためのものではなく、そこに情緒がある、あったことを指し示す道標、表札のようなものでありたい、という原則が言語化された。

questions

情緒は、自然画像側か、記号側か、どちらに近いのか。

AIの内部状態や潜在表現に似た層を、人間においては何と呼ぶべきか。

情緒は pre なのか post なのか。それとも前後の順序が攪乱された場そのものなのか。

言語は情緒を切り取るだけなのか。それとも情緒を発生させもするのか。

情緒研究の文章は、定義文ではなく、どのような「痕跡の文章」でありうるのか。

ノイズ、ゆらぎ、情緒、言語の各層は、どのように接続し、どのように逆流するのか。

findings

01 情緒は記号ではなく、生の勾配に近い。

情緒は、厳密な境界を持つ記号よりも、連続的で濃淡的な自然画像側に近い。ただしそれは単なる視覚的自然さではなく、呼吸、姿勢、時間感覚、光、疲労、空間感覚などに濡れた「生の勾配」である。

02 情緒は中間状態ではなく、すでに生起してしまっている。

AIの潜在状態が出力のための中間層であるのに対し、人間の情緒は「まだ意味づけられていないのに、すでに経験されているもの」である。そのため情緒は、何かの手段や前段階としてではなく、それ自体でもう起きてしまっている。

03 pre でも post でもなく、順序の攪乱としての情緒。

情緒は単なる premeaning ではなく、意味の前後がずれたり、入れ替わったりした拍子に現れる。「まだ来ていないはずのものがもう来ている」「終わったはずのものがまだ終わっていない」という時間的なほころびが、情緒の現れ方に深く関わっている。

04 言語は捕獲よりも表札でありたい。

情緒研究の文章は、情緒を説明するための文章ではない。それは、そこに情緒があったことを示す道標、表札、再訪のための標識でありたい。

05 保存欲は博物学的である。

「この感じ、なくなっちゃう」と思うことから生じる保存欲は、固定化や支配よりも、消失への抵抗に近い。情緒研究は、死んだ標本をつくるのでなく、消えてしまうものの痕跡をできるだけ生きたまま保管しようとする博物学として始める。

model

ノイズはまだ読まれていない多様性、ゆらぎはそこに生じる最初の偏り、情緒はその偏りが生に触れた状態、言語はそれを固定するのでなく在処を示す標識である。

phrases

エントロピー増大の過程を大量に学ぶことで、その逆向きもたどれるようになる錬金術。

ノイズを意味に変える術。

情緒は、意味になる前の生の勾配。

記号が輪郭だとすれば、情緒はその輪郭が生まれる前の圧力。

目的を持たないのにすでに生成された何か。

pre と post が入れ替わっちゃった拍子に、情緒が現れる。

情緒研究の文章は、情緒を説明しない。消えてしまうものの痕跡に、そっと表札を立てる。

ノイズは海。ゆらぎは波紋。情緒は、それが身体に届いたときの感じ。言語は、その岸辺に立てる標識。

fragment

情緒には、生がつきまとう。

生成目的物の手前の中間状態ではなく、それ自体が目的というか、その時点では目的を持たないのにすでに生成された何か。

情緒研究は、言語化できない情緒を言語で切り取ろうとする試みのように思う。

だがその言語は、説明や定義ではなく、そこに何かがあったことを示すための表札でありたい。

この感じ、なくなっちゃう。

だから忘れたくない。

保存、捕獲して標本化しておきたい。

博物学だね。